RG250Γに続くアルミフレーム採用の市販車第2弾として1984年春に登場したGSX-Rは乾燥重量152kgを公表、400ccクラス上限の59PSと驚異的なパワーウェイトレシオを引き出した。GS1000R譲りのレーサー然としたスタイルも魅力的であり、400ccレーサーレプリカ時代の幕を開けることになった。まとめ:岡本 渉/協力:バイカーズステーション、佐藤康郎、H&L PLANNING※この記事は2025年7月2日に発売した『レーサーレプリカ伝 4ストローク編』に掲載したものを一部編集して公開しています。スズキ「GSX-R(GK71B)」の概要SUZUKI GSX-R 1984年総排気量:398.9cc エンジン形式:水冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒 シート高:780mm 乾燥重量:152kg発売当時価格:62万9000円400ccクラスにレプリカ旋風を巻き起こした傑作1970年代終盤に4気筒で現れ、400マルチ人気の口火を切ったカワサキZ400FX。打倒FXを目指して1980年6月にはヤマハXJ400、1981年4月にスズキGSX400F、同年11月にホンダCBX400Fと4気筒車が次々現れる。FXは1982年3月に登場した後継のZ400GPと併売される。1980年代前半、400cc4気筒スポーツは2ストローク250ccスポーツとともに主流となり、国内4メーカーは、次々に先行ライバル車を上回るニューモデルを開発・発売した。空冷4発が出揃った後、より高性能を狙った水冷エンジン搭載車が生み出されることになる。1982年暮れにはホンダからV4エンジンを搭載するVF400Fが市場に投入され、1983年に入るとヤマハからはXJ400Z/Z-S、スズキからはGSX400FWが登場。当時は日本のバイク人気が全盛期を迎えていて、スポーツモデルの性能競争はとどまることがなく、同時に、それまで市販車への装着が認められていなかったカウリング(1982年7月にハーフカウル、同年8月にフルカウルが解禁)やセパレートハンドル(1982年7月に解禁)が徐々に認可されていった。さらに、4ストローク400ccと2ストローク250ccの市販車改造マシンが競い合うTTF-3レースの人気も年々高まっていた。そんな状況の下、速さの象徴であるレーシングマシンにより近いスポーツバイクに対するニーズは拡大していった。 1983年春に発売されたRG250Γは、それまでの常識を打ち破るアルミフレームを採用し、レーサームードにあふれるデザインと他を圧倒する性能で、大人気車となった。価格はそれまでの250cc車の常識を超えていたが、それだけ価値のあるモデルとして、多くのファンに受け入れられた。250ccクラスの2ストロークレプリカ人気は、Γによって本格化したと言っていい。そしてその流れは400ccクラスにも波及した。1983年秋の東京モーターショーに、スズキは、アルミフレーム採用の第2弾であり、耐久レーサーのレプリカにしか見えない400cc車、GSX-Rを出展する。アルミフレームに水冷並列4気筒エンジンを搭載し、デュアルヘッドライトのハーフカウルを装備したその姿は、レース好きの若者たちの夢を具現化したと言えるもので、そのインパクトは強烈だった。大いに注目され、話題となったのは言うまでもないことだ。その割り切った作りから、このままの形で市販されるのだろうかと疑問視する声もあったが、1983年3月1日、GSX-Rはショーモデルとほぼ同じ仕様で発売されるのである。“BORN IN CIRCUIT”。当時の雑誌広告にこのキャッチフレーズが大きく掲載された。スズキ・竜洋テストコースでの発表試乗会でも、“レーサーをストリートで走らせようと割り切ったモデル”とスズキは明言した。RG250Γの成功によって、彼らは自信を持ってGSX-Rを生み出し、リリースすることができたのだろう。▲1983年のGS1000Rのレプリカカラーを施し、1984年の夏に追加されたHB(ハーベー)イエロー仕様。シートも赤仕上げだった。GSX-Rは、車体の軽さも大きなセールスポイントだった。400ccクラス初のアルミフレームは形状こそダブルクレードルだった(ツインスパーが出現するのはレース含めてもう少し後のことだ)が、その単体重量は7.6kgで、GSX400FWの鉄フレームより6.4kgも軽かった。基本をGSX400FWとしながらも大幅なリファインが施され、事実上新設計となったエンジンも、FWより10kg以上も軽くされた。それらによって、乾燥重量152kgという400cc車としては驚異的な軽さを実現したのである。動力性能も素晴らしいものだった。最高出力はクラス上限の59PS/11000rpmだが、最大トルクは400ccエンジンでは他を圧倒する4.0kgf・m/9000rpm。また、2.58kg/PSというパワーウェイトレシオは当時の400ccクラスではダントツで、750ccクラスにも匹敵する数値をマークした。足まわりにも最新のテクノロジーが注ぎ込まれた。フロントはANDF(アンチ・ノーズ・ダイブ機構式フロントフォーク)をΦ36mmフォークに装備し、リアにはCMCフルフローターサスペンションを採用。ブレーキは、フロントが対向4ピストンキャリパーのダブルディスクで、リアは対向2ピストンのシングル。スズキではこれをデカピストンブレーキと呼んだ。市販同クラス中、最もレーシーなスタイルで動力性能もトップとなれば、発売と同時に大ヒットとなったのは当然だった。GSX-R発売の2カ月後にヤマハのFZ400Rが登場し、最高出力でGSX-Rに並ぶが、車重では及ばなかった。大人気を得たGSX-Rは発売から約1年後の1985年春にわずかなマイナーチェンジを受けて2型となり、翌1986年にはフルモデルチェンジして3型となる。▲1986年3月にはツインチューブタイプのDC-ALBOXフレームや前後17インチ、SATCS採用の新エンジンやΦ38mmフォーク、角型1灯を持った3型(上の写真・当時価格66万9000円)に進化する。翌1987年には丸目2灯にカウルを変更し、ホイールをフロント17/リア18インチ化。さらに1988年にフルチェンジする。この3型はフレームが新設計のツインスパー的な形のDC(デュアルセル)-ALBOXとなり、エンジンもショートストローク化され、シリンダーヘッドを水冷、シリンダーを空冷、ピストン等を油冷とするSATCS(スズキ・アドバンスド・3ウェイ・クーリング・システム)を採用した。この頃にはレプリカの人気は異常なほどに盛り上がり、強力なモデルが他メーカーから続々出現。それに対抗して3型GSX-Rは1987年に再び2灯ヘッドライト化してエンジンや車体も見直され、当時一般化しつつあったラジアルタイヤも採用した3.5型と言うべき仕様になり、車名もGSX-RからGSX-R400に。1988年の4型ではフルモデルチェンジされ、よりレーサームードを色濃くし、レース用のベース車両としての要素を強めたSP(スポーツプロダクション)仕様も用意された。以降、1993年までは毎年のようにモデルチェンジされるが、1990年代に入るとレプリカブームは去り、ライバル車たちと同様に人気は低迷。GSX-R400は1995年モデルを最後にラインナップから消える。終盤こそ寂しくはあったが、初期型GSX-Rが及ぼした影響は大きく、400ccクラス、いや、スポーツモデルの歴史にその名はしっかりと刻まれている。またGSX-Rの名とスーパースポーツ作りに対するスズキの考え方は、現行モデルのGSX-Rシリーズに受け継がれているのである。スズキ「GSX-R(GK71B)」(1985年)の各部装備・ディテール解説スタイリング画像1: スズキ「GSX-R(GK71B)」(1985年)の各部装備・ディテール解説撮影車は2型(初期型の1年後に発売)に初期型の外装を装着したもので、それを除けば完全にSTD状態。程度は極上と言えるもので、特にミドルカウルは真新しい。オーナー・徳原さんはこだわりで、初期型の外装を苦労して入手した。2灯式ヘッドライトのハーフカウルや4into1の排気系を装備するスタイリングは、1983年世界選手権耐久レースのチャンピオンマシン、GS1000Rの雰囲気があって、当時を知る身には、これ以上はあるまいと言えるほどレーシーで格好よく見えたのを覚えている。画像2: スズキ「GSX-R(GK71B)」(1985年)の各部装備・ディテール解説ホイールベース1425mm、キャスター27度25分というディメンションで、車体がそれほど小さいわけではないが、乾燥152kgの車重やスリムな車体のおかげで取り回しやすい。リアサスペンションはショックユニットを上下から押すリンク式のフルフローターで、左側ステップ上に装備されるノブによって、初期荷重が5段階に調整できる(RPCL=リモート・コントロール・プリ・ロード)。減衰力調整機能はない。フロント&リアビュー画像3: スズキ「GSX-R(GK71B)」(1985年)の各部装備・ディテール解説丸目2灯ヘッドライトのハーフカウルは当時の耐久レーサーを彷彿させるもので、GSX-R発売時点では他に採用しているモデルはなく、そのスタイルは実に新鮮に映った。フロントウインカーもビルトインタイプでスマートに処理されている。ヘッドライトは12V35/35W(50~60W時代の前)×2 。画像4: スズキ「GSX-R(GK71B)」(1985年)の各部装備・ディテール解説ほどよいボリューム感がある前方からの眺めと比べると、リアビューはスリムに仕上げられ、軽快で俊敏なイメージが強い。テールカウルは後端が思い切って絞られ、こちらもビルトインされるリアウインカーのデザインもユニークだ。リアタイヤの幅は110 。レプリカでも、当時はまだ細かった。メーターまわりハンドルは左右セパレートタイプで、三ツ叉の上側にクランプされる。1980年代後半のレプリカモデルはどんどん本物のレーサーに近づくが、それ以前はこうした作りが多く、ラインディングポジションはより実用的である。写真中央下、燃料タンク前方にある黄色いパーツはブリーザーホースの樹脂製キャップで、本来は白だが変色してしまったようだ。3連メーターのマウントがスポンジなのもレーシーだった。文字盤は、初期型はダークカラーだったが、2型でホワイトに変更された。速度計は180km/hスケールで、オド/トリップメーターを内蔵。回転計は真下の3000から13000rpmまでが目盛られるレーサー的なもので、12000rpmからがレッドゾーン。右側は水温計と燃料計で、メーターパネル下部にはウインカー、ニュートラルほか、各種のパイロットランプが並ぶ。燃料タンクフレームパイプに沿った下端形状を持つ燃料タンクは、コンパクトでスリムな作りだが厚みがあり、18.0Lという400ccとしては十二分な容量が確保されている。キャップはフラットなエアプレーンタイプの埋め込み式で上面はフラットだ。エンジンMR-ALBOX(マルチリブ・アルミボックス)フレームに搭載される水冷4ストローク並列4気筒DOHC4バルブエンジンは、1年前の1983年春にデビューしていたGSX400FWが元。とは言え実質はまったくの新設計で、吸排気バルブの大径化や圧縮比アップが行われ、ピストンとコンロッドの軽量化、シリンダーおよびクランクケースの肉抜きなども施されて、エンジン単体重量でFWより10kg以上軽い。アルミフレームもさることながら、このエンジンが車重の軽減に大きく貢献した。もちろん性能向上も大幅で、Φ53.0×45.2mmのボア×ストローク、398.9ccの排気量はFWと共通だったが、最高出力59PS/11000rpm、最大トルク4.0kgf・m/9000rpmと、FWに対して9PS、0.4kgf・mの性能向上を果たし、クラストップの高性能(59PSは自主規制によって横並び。だから軽さが効いた)を誇った。シート画像10: スズキ「GSX-R(GK71B)」(1985年)の各部装備・ディテール解説ダブルタイプのシートは細長く、尻を包み込む感じはないが体重移動はしやすい。シート高は780mmで、足着き性は良好。シートのタンデム部は小さい。ステップまわりラバーを持たないステップバーはアルミ製で、ペダル類やステップホルダーも同じくアルミである。また、サイレンサーにもアルミ材を採用して軽量化を促進。アルミ製のパーツ類は軽いだけでなく見た目の質感も高い。足まわり画像13: スズキ「GSX-R(GK71B)」(1985年)の各部装備・ディテール解説フロントブレーキはΦ236mmのソリッドディスクと対向4ピストンキャリパーのセットをダブルで装備。インナーチューブΦ36mmのANDF付きフロントフォークに張られるデカール、DECA PISTONは、リアキャリパーの2個を含め、キャリパーが全部で10個のピストンを持つことを表す。前輪はスズキが当時の流行の先鞭を付けた16インチ(ホイールは2.15-16)で、タイヤは100/90-16。取材車はBT-30Fを装着。画像14: スズキ「GSX-R(GK71B)」(1985年)の各部装備・ディテール解説リアブレーキはΦ210mmソリッドディスクと対向2ピストンキャリパーのセット。一方、リアホイールは2.15-18インチで、タイヤは110/90-18。取材車はBT-45Rを装着するが、純正タイヤはダンロップのK300など数種。スイングアームもアルミ製で、角型断面タイプだ。スズキ「GSX-R(GK71B)」(1984年)の主なスペック・当時価格まとめ:岡本 渉/協力:バイカーズステーション、佐藤康郎、H&L PLANNING※この記事は2025年7月2日に発売した『レーサーレプリカ伝 4ストローク編』に掲載したものを一部編集して公開しています。関連のおすすめ記事【絶版名車解説】スズキ「GSX-R」1984年 - webオートバイ【400cc名車解説】「GSX-R」 - webオートバイ