13/05/2025 · 4 ヶ月前

【超絶高級車ウラ話】トップ・オブ・メルセデス。最高峰ラグジュアリーカー「MAYBACH」は何が魅力でどこが買いなのか?後編

肝心の試乗記を忘れていました。「EQS 680 SUV」に早速乗り込んでみます。思わず「マイバッハ起動!」とかエヴァ乗り気分でスタートしますが、エンジン音代りの「ブワーン」というサウンドが耳に馴染みません。モビリティという時代を切り開いたマイバッハですから、せめて「テスラ周波数で乗員を癒します」とか、他のアイディアなかったんでしょうか?

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インテリアはオプションの「ファーストクラスパッケージ」を搭載。独立式の後席はラグジュアリーそのもの。レザーの仕立ても最高級です。しかし、ショーファーで所有するならライバルブランドも負けていません(後席は3名掛けの5人乗り仕様も選べます)。4つのドアは中央のスクリーンで開閉可能だなんて技はマイバッハのオモテナシ機能か?

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システム出力は484kW(658ps)/955Nmを発生。ですから、出足からなんら不満はありません。試乗ルートは静岡・御殿場市内の試乗会場から地元醤油蔵の天野醤油を経由し、ススキの名所である箱根・仙石原へと続く山道です。

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スタート時50%だったバッテリー残量は寄り道のせいか48%に低下。しかし、戻っ来て残量確認すると50%ですから回生能力もハンパない模様。バッテリーを含むパワートレインは10年・25万キロ保証といいますからまず心配はご無用(諸条件など詳細は正規販売店でご確認ください)。

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©️gettyimages

マイバッハブランドを理解する上で必要な情報として、自動車の時代を築いた“人間相関図”を略式でまとめます。相応に知識があればなかなか興味深いと思います。

●ダイムラー(メルセデス)

ゴットリープ・ダイムラー(親方):1834年3月17日‐1900年3月6日

パウル・ダイムラー(親方の長男):1869年9月13日 - 1945年12月15日

アドルフ・ダイムラー(親方の次男):1871年9月8日 – 1913年3月24日 

※商標スリーポインテッドスターを考案した人物がアドルフです。

ウィルヘルム・マイバッハ(弟子):1846年2月9日‐1929年12月29日

カール・マイバッハ(弟子の子):1879年7月6日‐1960年2月6日

※1921年に最初のマイバッハオリジナルの量産車「タイプW3」を生産

●ベンツ

カール・ベンツ(親方):1844年11月25日‐1929年4月4日

オイゲン・ベンツ(親方の子):1873年5月1日‐1958年3月9日

アウグスト・ホルヒ(弟子):1868年10月12日 – 1951年2月3日

※ホルヒは後のアウディの創業者

★1926年に「ベンツ&シー」と「ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト」の2社が合体し「メルセデス・ベンツ」爆誕!

●欧州自動車界の猛者たち

ヘンリー・ロイス:1863年3月27日 - 1933年4月22日

フェルディナント・ポルシェ:1875年9月3日 - 1951年1月30日

エットーレ・ブガッティ:1881年9月15日 - 1947年8月21日

W.O.ベントレー:1888年9月16日-1971年8月13日

エンツォ・フェラーリ:1898年2月18日 – 1988年8月14日

 
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創業時のメルセデスは大変でした。資本家の意見との対立があり、ダイムラーは自身の会社を追われ、その間、マイバッハは自身の会社でパウル・ダイムラーを守り、エンジニアとしての歩みを堅持。その後新たな資本家フレデリック・シムズが登場し経営権を掌握。無事ダイムラーとマイバッハの2人は返り咲きます。

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1909年マイバッハ親子が「マイバッハ・モトーレンバウ」社設立。これまた経営トップとそりが合わず、また、師匠であるゴットリープ・ダイムラーの没後だけに独立するという決断ができたのだと思います。マイバッハは自動車のみならず、船舶、飛行船、高速鉄道に至るまで数々のエンジンを設計しました。また、自動車メーカーとしてはじめてV12エンジンを搭載した1938年の「マイバッハ・ツェッペリンDS8」はエンジニアリングの極みといえるでしょう。

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1929年12月29日、ウィルヘルムが鬼籍入り。父の没後カールは頑張りましたが第二次世界大戦後、再び自動車を生産する体力はもう残っていませんでした。会社の株式を段階的にメルセデス側に譲渡。マイバッハ親子の航跡は「Wilhelm & Karl Maybach Foundation」というメンターに特化した財団に受け継がれます。

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最終的に天才エンジニア2人が残した奇跡が「メルセデス・マイバッハ」というひとつのブランドになったのですから、これもまた運命としかいいようがありません。ラグジュアリーのその先へ。次なるモデルに期待しましょう。ではまた!

(文中敬称略)

Text:Seiichi Norishige

メルセデス・マイバッハ

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