歴代モデルの中でもインパクト絶大だった第2世代「GT-R」 日産のR35「GT-R」が生産終了となったことを受け、日産自動車のグローバル本社ギャラリーで「GT-R」の歴史とファンへの感謝を込めた特別展示イベント「FOREVE“R”~GT-Rファンは永遠に~」が開催されました。 本記事では、そんな会場に展示された歴代モデルの中から、今も人気を誇る第2世代「GT-R」であるR32、R33、R34の市販モデルにフォーカスします。【画像】「えっ!…」個性豊かな3モデルにファンも熱狂! これが今も大人気の第2世代「GT-R」です(30枚以上)BNR32「スカイラインGT-R」(1989) 日産自動車のグローバル本社ギャラリーには、通常、新旧の多彩な日産車で埋め尽くされていますが、「FOREVE“R”~GT-Rファンは永遠に~」の開催当日はその多くのエリアを、歴代「GT-R」がジャック。“ハコスカ”の愛称で親しまれる初代モデルから、最終型となるR35まで、市販車とレーシングカー合わせて15台が展示されました。 会場には、全国各地より熱心な「GT-R」ファンが集結し、大いににぎわいを見せましたが、歴代モデルの中でやはり外せないのは第2世代。R32、R33、R34です。 ここからは、そんな第2世代「GT-R」誕生の経緯や3モデルごとのポイントについてご紹介していきましょう。“ハコスカ”、“ケンメリ”と、モータースポーツシーンで戦うことを目的に生まれた「GT-R」でしたが、昭和48年排ガス規制に適合できなかった“ケンメリ”のGT-Rは、生産台数わずか197台で歴史に幕を閉じることとなりました。 その後、ターボやツインカム、ツインカムターボといった高性能エンジンを搭載する「スカライン」が世に送り出されたものの、「GT-R」というネーミングの復活までは、16年の歳月を必要としました。そして、伝説の名が復活したのは、1989年5月に発表された8代目のR32「スカイライン」の時代です。 当時の日産自動車は、国内販売シェア縮小の危機感から、より優れたクルマを生み出す“901運動”という取り組みをおこなっていました。これは「1990年代までに技術世界一を目指す」というもので、その成果の代表例となったのが、R32「スカイライン」と、それをベースとした3代目のBNR32「スカイラインGT-R」です。 走りの「スカイライン」として今もファンの多いR32をベースに、専用設計となる高性能エンジン“RB26DETT”や前後マルチリンクサスペンション、近代「GT-R」の要となる電子制御トルクスプリッド4WD“アテーサE-TS”、後輪操舵システム“スーパーハイキャス”など、当時としては最新となる技術が惜しみなく投入されました。 その高い実力は、市販車開発の聖地とされるドイツ・ニュルブルクリンクにおいて、当時、日本車として初めて量産車世界最速タイムを記録したことでも証明されています。この出来事は、「GT-R」とニュルとの伝統の始まりでもありました。 BNR32「スカイラインGT-R」のスタイリングには、ベースモデルとは異なる特徴をいくつか見ることができます。 大径タイヤを収めるべく前後のブリスターフェンダーを備えたワイドボディ、ベース車とは異なる3本ラインのグリルつきフロントマスク、大型インタークーラーとブレーキ冷却性を高める大型インテークつきフロントエアロバンパー、高速安定性を高める大型リアスポイラーといった「GT-R」専用のデザインと装備が与えられ、より力強さを感じられるルックスとなっていました。 また軽量化のため、フロントフェンダーとボンネットフードの素材をアルミ化。さらに、専用16インチホイールはデザインこそベースモデルのそれに酷似していますが、当時としては珍しい鍛造製で、しかも、BBSが製造を手がけたという贅沢なものでした。もちろん、ホイールの製造原価は高価だったため、当時の日産社内では、ホイール1本当たりの納入価格が1台分=4本と勘違いされた、なんてエピソードも残っています。BNR32「スカイラインGT-R」(1989) BNR32「スカイラインGT-R」のインテリアは、専用デザインとなるステアリングホイールとセミバケットシートが与えられました。それらのタッチのよさは純正品ながらクルマ好きをうならせる出来栄えで、日産の「GT-R」復活にかける本気をうかがえるものでした。 また、ハイテクカーとなった「GT-R」の復活は、クルマ業界にも大きなインパクトを与えることに。なかでも、当時、盛り上がりを見せていたチューニングの世界では、一躍、スターモデルとなりました。 1989年にデビューした際の価格は、ベースモデルの後輪駆動車で最も高価だった「GTS-t タイプM」のMT車に対して、約1.9倍という高価だったにも関わらず、モデル累計での生産台数は約4万3000台と、歴代「GT-R」でトップの人気を誇りました。 なお、今回の会場には、デビュー直後のイメージカラーだったガングレーメタリックをまとった極初期モデルの標準車が展示されていました。逆風の時代にあっても進化を遂げたR33 第2世代「GT-R」初のフルモデルチェンジによって新たに誕生したのが、1995年1月登場の4代目であるBCNR33「スカイラインGT-R」です。BCNR33「スカイラインGT-R」(1997) BCNR33「スカイラインGT-R」は1993年8月にフルモデルチェンジを果たした9代目「スカイライン」をベースに開発され、1993年秋の「東京モーターショー」でプロトタイプが展示されました。 この時点では、R32に似たルーバーつきフロントグリルが採用されていましたが、市販時には「GT-R」エンブレムを中央に配置したメッシュグリルへと変更されています。 ベースモデルがサイズアップを果たしたことで「GT-R」も大型化。エンジンは、メーカーの自主規制により最高出力こそ280psを維持していたものの、最大トルクの向上など性能向上が図られました。 バブル崩壊の影響を受け、「スカイライン」が4ドアセダンと2ドアクーペのホイールベースを共通化したため、フロアを共有した「GT-R」もロングホイールベース仕様に。それによる走りには賛否の声も上がりましたが、高速安定性の向上というメリットを生み出しました。 もちろんR33は、R32より高性能化が図られていました。それを示すべく、CMではニュルブルクリンクでマークしたタイムを先代比で21秒短縮したことを受け、「マイナス21秒ロマン」というコピーが掲げられました。「GT-R」としては4代目となるR33は、全グレードにブレンボ製ブレーキシステムと角度調整式リアスポイラーを標準化。また、標準車に加えて、高性能化を図った「Vスペック」も設定されていました。 この「Vスペック」は、電子制御式LSDである“アクティブLSD”を備えた専用4WDシステム“アテーサE-TS PRO”が搭載されているのが大きな特徴。そのほかタイヤも、標準車と「Vスペック」とでは異なる銘柄が装着されていました。 そんなBCNR33「スカイラインGT-R」の時代には、ル・マン24時間耐久レース参戦用のホモロゲーションモデル「NISMO GT-R LM」が製作されたことに加えて、1996年にル・マン参戦を記念する期間限定車「LMリミテッド」が投入されたことでも話題に。 また1998年には、「スカイライン」生誕40周年を記念した特別仕様車「GT-Rオーテックバージョン40thアニバーサリー」が登場し、初代“ハコスカ”以来となる4ドアの「GT-R」もラインナップに加わりました。BNR34「スカイラインGT-R Mスペック ニュル」(2002) なお、今回の会場には、1997年2月にマイナーチェンジを受けた後期型が展示されていました。最終型の特徴であるサイドインテークを追加したフロントバンパーと大型フロントスポイラーを確認できます。●ボディのコンパクト化も図られた5代目のBNR34 第2世代の集大成となる5代目のBNR34「スカイラインGT-R」は、1999年1月に販売がスタートしました。 ベースモデルとなったのは、最後の正統派モデルとなった10代目のR34「スカイライン」。このR34は原点回帰を図ったモデルであり、特にクーペは、伝統的なショートホイールベースを採用することで、スポーツクーペとしてのイメージ回復をねらいました。 その恩恵を受け、BNR34「スカイラインGT-R」は先代比で全長が75mm、ホイールベースが55mm短縮され、ボディのコンパクト化も図られています。 メカニズム面では、象徴的なRB26DETTエンジンに磨きをかけつつ、最新技術による性能向上を図っており、18インチのタイヤ&ホイール、ゲドラグ製の6速MT、マルチファンクションディスプレイ、可変2段式リアスポイラー、ボディ下部のディフューザーなど多くの新機能を採用しています。 また、ハードな乗りというイメージを打ち破る、グランツーリスモ色を強めた「Mスペック」というグレードガモデル途中で追加されるなど、「GT-R」としての新たな道も模索されました。 なお今回の展示車は、2002年1月に生産終了を迎えたR34「GT-R」の最終限定車として設定された「ニュル」。その名は第2世代「GT-R」を育んだニュルブルクリンクに由来するもので、N1仕様のエンジンが搭載されたほか、限定車専用色として“ミレニアムジェイド”が設定されました。「ニュル」のグレードは「VスペックII」と「Mスペック」のいずれかを選択できましたが、今回はミレニアムジェイドの「Mスペック ニュル」が展示されていました。R34ベースのコンプリートカーはバーゲンだった!? これら第2世代「GT-R」には、日産自動車が手がけたモデル以外にも、それをベースとするコンプリートカーが存在していました。R34ベースのコンプリートカー「NISMO R34GT-R Z-tune」 なかでも今も記憶に鮮明に残る1台が、日産のモータースポーツ部門であるNISMOが手がけたR34「GT-R」のコンプリートカーが「NISMO R34GT-R Z-tune」です。 2004年のNISMO設立20周年を記念し、走行距離3万km以下の「Vスペック」のうち、良質な中古車をベースとしてコンプリートカーを製作。 車両は完全に分解された後、ボディへのスポット増し、エンジンの2.8リッター化&500psまでの性能アップなど隅々まで手を加えられ、ボディはひと目でそれと分かる「Z-tuneシルバー」で塗装されました。 価格は当時、1690万円と高価でしたが、現在のR34「GT-R」の価格上々を鑑みれば、バーゲンプライスだったといえるでしょう。最終的には19台が製造されたそうです。* * * このように、歴代モデルの中でも世代ごとに明確な個性があり、それらをベースとするコンプリートカーも存在するなど、バリエーションにも富んでいた第2世代「GT-R」。今回、一堂に会した各モデルを見て、それぞれに多くのファンが存在していることに納得させられました。