ホンダ400㏄・4気筒の物語は、ただのスペック競争ではない。そこには、時代ごとに形を変えながらも脈々と受け継がれてきたデザイン哲学が存在する。重厚なCB350FOUR、研ぎ澄まされたCB400FOUR、そして完成の域に達したCBX400F。その系譜は、ひとりのデザイナー・佐藤允弥が描き続けたホンダ美学の軌跡でもある。「かっこよくて、欲しくなる」バイクとは何か。その答えを、彼の作品が静かに語っている。まとめ:オートバイ編集部/協力:東京エディターズCB400FOURからCBX400Fへ続くデザインの進化ドリームCB400フォアヨンフォアからCBXへ進化と美学の系譜ホンダ400cc4気筒。その系譜をたどれば、CB350FOURに始まり、CB400FOUR、そしてCBX400Fへと続く。もし最初のCB350FOURが大成功を収めていたなら、あの“ヨンフォア”は生まれなかっただろう。となれば、CBX400Fもまた存在しなかったかもしれない。たしかに、CB400FOURとCBX400Fのデザインはまったく異なる印象を与える。しかし、両者を見比べると、どこかに共通する“何か”があるようにも感じられる。似ているようで、似ていない。似ていないようで、似ている。この2台のデザインを手がけたのは、佐藤允弥(まさひろ)氏である。もしCB350FOURも氏のデザインだとすれば、この三車のあいだに流れる不思議な縁を感じずにはいられない。佐藤允弥氏(さとうまさひろ)1937年生まれ。1962年、本田技研工業入社。最初の仕事はポータブル発電機E300のデザインだった。ヨンフォアやCBXをはじめ、初代タクト、スカイ、 DJ-1、フュージョンなど、これまでになかった新鮮でエポックメイキングなデザインを数多く生み出した。残念ながら、2015年2月に逝去された。画像1: ホンダ「ドリームCB400FOUR」から「CBX400F」へと続く、デザインの進化を辿る【空冷4発ヨンヒャク回顧録】外から見れば「350で苦戦し、ヨンフォアで巻き返し、CBXで完成させた」といった成長の物語にも映る。当時の時代背景を見ても、そうした解釈は自然だろう。1972年、CB750FOURやCB500FOURの弟分として登場したCB350FOURは、重厚でゴージャスなスタイリングが話題を呼んだが、販売面では期待ほどの成果を上げられなかった。その反省をもとに生まれたのが、あの名車CB400FOURである。同じデザイナーの作品でありながら、ここまで明暗が分かれたのはなぜか。その理由を佐藤允弥氏は、こう語っていた。「開発で一番大事なのは、責任者の存在です。どれだけスタッフの力を引き出せるかがすべてなんです。つまり、はっきりとした方向性を示し、その目標に向かって技術者も営業もデザイナーも一丸となって取り組む。そのためのリーダーシップと責任感が不可欠です。今で言う“チーム力”というやつですね。350のときは、意見を言う人が多すぎました。いわゆる“船頭多くして……”の悪い例です。そのせいで進むべき方向があいまいになってしまったんです。でも誤解しないでください。意見交換そのものが悪いというわけではありません」ヨンフォアのデザインは、明確なコストダウンの方針のもと、“動”をイメージし、不要な要素を徹底的に削ぎ落とした。その結果として、あの完成度の高い美しいフォルムが生まれたのである。 初期スケッチに宿るCBXの原型初期のイメージスケッチ。キャストホイールによって全体的に硬質な印象を受けるが、シルエットはまさしくCBX。そのスケッチから、あのデザインを導き出したというのが、文中で語られた手法なのだろう。画像2: ホンダ「ドリームCB400FOUR」から「CBX400F」へと続く、デザインの進化を辿る【空冷4発ヨンヒャク回顧録】画像3: ホンダ「ドリームCB400FOUR」から「CBX400F」へと続く、デザインの進化を辿る【空冷4発ヨンヒャク回顧録】画像4: ホンダ「ドリームCB400FOUR」から「CBX400F」へと続く、デザインの進化を辿る【空冷4発ヨンヒャク回顧録】画像5: ホンダ「ドリームCB400FOUR」から「CBX400F」へと続く、デザインの進化を辿る【空冷4発ヨンヒャク回顧録】画像6: ホンダ「ドリームCB400FOUR」から「CBX400F」へと続く、デザインの進化を辿る【空冷4発ヨンヒャク回顧録】デザインの進化は“足し算の美”、“引き算の技”だった画像: デザインの進化は“足し算の美”、“引き算の技”だった「クラス最高峰をつくる」明確な開発方針時は流れ、1980年の春。空前のバイクブームが渦巻く中、ライバル各社は次々と4気筒モデルを投入していた。2気筒のホークシリーズだけでは、もはや競争力の維持が難しい。そこでホンダは、400ccクラスにおける新たな象徴となる4気筒旗艦モデルの開発を決断する。“ホンダの持てる技術を惜しみなく投入し、クラス最高峰のハイパワー4気筒スポーツモデルをつくる”その方向性は明確だった。「開発責任者の野末さんは、できる限りエポックメイキングな存在にしようと努力していました。だからデザインも、シンプルでかっこいいものを目指そうと考えたんです」(佐藤氏談)営業サイドからは“ヨンフォアのイメージを残してほしい”という要望もあったという。では、佐藤氏の頭の中にどこまでヨンフォアがあったのか。CBXのデザインに関する具体的な逸話は少なく、詳細は定かではない。ただし、ヨンフォアとCBXでは採用されたデザイン手法がまったく異なっていたことは、あまり知られていない。ヨンフォアのデザインは、シートやタンクといった各パーツを個別に仕上げ、それらを積み重ねることで全体の一体感を生み出す“加法的”な手法だった。CBX400Fのモックアップモデルでは、ブーメランコムスターホイールとキャストホイールの2パターンが検討されていた。それに対しCBXでは、最初から車体全体を一つのまとまりとして構築する、いわば四輪開発的な“統合設計”の考え方が採用された。タンクからサイドカバー、そして“コンビネーションライト”と呼ばれるテールへと流れるように繋がる造形は、まさにそのアプローチの成果である。一見して説明しにくいが、ヨンフォアが“足し算”によって構成されたデザインだとすれば、CBXは“引き算”によって完成したデザインといえるだろう。手法こそ異なるものの、この2台の400は誰もが認める稀代の名車であり、何より“かっこよくて、欲しくなる”存在である。CBX400FといえばX型エキパイが象徴的だが、実は一般的なデザインのエキパイも検討されていた。佐藤氏はこうも言う。「本田宗一郎はよく言っていました。“自分が欲しいと思うデザインをつくれ。こんなバイクに乗りたい、と想像して形にしろ”と」両者に通じる“共通点”は、形の類似ではない。“かっこよくて、所有したくなる”そんな本能的な魅力にこそあるのだろう。そして付け加えるなら、佐藤氏が自身の作品の中で最も気に入っているのは、意外にも原付の「ハミング」だという。ヨンフォアやCBXとは結び付きにくいモデルだが、優れたデザインを生み出す感性は、常人の想像を超えたところに宿るものなのだ後に登場するインテグラは、デザインスケッチの段階からすでにハーフカウル仕様のCBX400Fインテグラが検討されていた。そのままのスタイルで登場。1981年、参考出品ながら予約殺到!画像7: ホンダ「ドリームCB400FOUR」から「CBX400F」へと続く、デザインの進化を辿る【空冷4発ヨンヒャク回顧録】1981年10月、東京モーターショーで国内初お披露目されると、参考出品ながら予約が殺到した。発売は同年11月17日で、その年の販売期間は実質1カ月足らずだったが3564台を登録。翌1982年には3万1533台が登録され、トップセールスを記録した。なお、国内販売終了までの総登録台数は約6万1000台にのぼるまとめ:オートバイ編集部/協力:東京エディターズ関連のおすすめ記事【絶版名車解説】「ドリーム CB400FOUR」(1974年) - webオートバイ【400cc名車解説】「CBX400F」 - webオートバイ【コラム】ホンダ「CBX400F」|すべてにおいてライバルを圧倒した、当時の史上最強400cc・4気筒 - webオートバイ