09/09/2025 · 6 日前

ホンダ「NSR250R」ヒストリー|色褪せることのない伝説のオートバイ

ホンダを代表するオートバイの1台、当時登場したレーサーレプリカの中でも代表格としても挙げられるホンダ・NSR250R。この記事では、月刊『オートバイ』本誌にて長年テスターを務める太田安治がレーサーレプリカブームが巻き起こった80年代当時を振り返ってNSR250Rの魅力を語る。

文:太田安治、オートバイ編集部/写真:赤松 孝、松川 忍、南 孝幸/協力:Bikers Station、H&L PLANNING

▶▶▶写真はこちら|ホンダ「NSR250R」(6枚)

ただの乗り物としては語れないNSRの持つ魅力とは?(太田安治)

画像1: ただの乗り物としては語れないNSRの持つ魅力とは?(太田安治)

これまでも、これからも永遠と受け継がれる1台

NSR250Rは1980年代レーサーレプリカブームをリードし続けた大ヒットモデル。初代は1986年に登場したMC16型だが、まずは登場に至る背景を振り返っておこう。

1970年代まで250ccロードスポーツモデルは、4ストロークエンジンに絶対の自信を持つホンダを除き、ハイパワー・軽量・低コストという利点を持つ2ストロークエンジン搭載モデルが主流。しかし1976年にアメリカで大気浄化法(自動車の排出ガスに含まれる一酸化炭素や炭化水素の量を規制する内容)が実施され、対米輸出を重要なビジネスとしていたメーカーは4ストへの移行を進めた。

エンジンオイルを燃料と一緒に燃やして潤滑する2ストは規制対応が難しく、排気煙と臭いを嫌うライダーも増え、2スト車は消え去る運命……と思われていたが、1980年に衝撃的なオートバイが登場する。レーサーレプリカの元祖とも評されるヤマハのRZ250だ。

画像2: ただの乗り物としては語れないNSRの持つ魅力とは?(太田安治)

2ストエンジンを得意とする開発陣が「最後の2スト・ロードスポーツモデル」と覚悟を持って作り上げたRZは、市販レーサーTZ譲りの車体構成にクラストップの35PSエンジンを組み合わせ、それまでのモデルとは次元の異なる性能を発揮し、爆発的な人気を得て、ヤマハの想定を遙かに上回る「納車まで半年待ち」という当時としては異例の状況を生み出した。

折しもヤマハが「国内ナンバーワンの座を奪取!」と宣言して始まったHY戦争(ホンダとヤマハによる国内シェア争い)の真っ只中。ホンダは「打倒RZ」を掲げて4ストで対抗。1982年にVT250Fを発売し、RZよりはるかに扱いやすいエンジン特性で大ヒットする。

しかしホンダ得意の超高回転型エンジンをもってしても、同じ排気量では瞬発力に劣り、当時の「何よりも速さ」を求めるライダー達の要求は満たせなかった。

そこでホンダとしては250ロードスポーツクラス初となる2ストエンジンを搭載したMVX250Fを1983年に投入。世界GP用のワークスレーサーをオマージュしたV型3気筒エンジンは40PSを発揮し、RZを王座から引きずり下ろす! はずが、2ストの扱いにくさを解消するYPVSを採用して最高出力を43PSに高めたRZ250R、市販車初のアルミフレームと45PSエンジンを組み合わせたRG250Γが同年に相次いで登場。スペック的に見劣りしたうえに、焼き付きなどのトラブルが多発して「失敗作」と揶揄される結果になってしまった。

新宿のホテルで行われたMVXの発表会終了後、そのまま富士スピードウエイに持ち込んでRZ250Rと最高速計測を行ったが、動力性能も車体の完成度も明らかにRZ-Rが勝っていた。想像だが、HY戦争の影響でMVXは市場投入を急かされ、煮詰め不足だったのだろう。

打倒RZに拘るホンダは1984年にNS250Rを発売。同社の市販レーサーRS250Rを手本としたアルミフレームに45PSのV型2気筒エンジンを搭載し、当時盛り上がっていたプロダクションレースでMVXとは比較にならない戦闘力を誇った。

僕はこの頃、59PSの4スト400cc車でレースに出ていたが、SUGOサーキットの登り10%ストレートではMVXならどこでも鼻歌交じりで、RZ-Rはストレートの中盤で、NSは1コーナー手前で何とか前に出られる、という感じだった。

こうしてNSはホンダ念願の250cc最速モデルとなったのだ。ちなみに「250ccは45PS以下」という国内メーカーの自主規制はRG-Γの登場が引き金になったと言われている。しかし「誤差10%以内」という但し書きを都合良く解釈し、スーパースポーツ系は誤差の範囲ギリギリのパワーを出していた。45PSに10%プラスで約50PSということだ。

しかしNSがクラス最速の称号を与えられていた期間は短かった。1985年11月にヤマハが市販レーサーTZ250と同時開発したTZR250を発売し、各地のレースで圧倒的な速さを見せつけた。

ホンダもヤマハの反転攻勢を予想していて、1986年10月に世界GP250ccクラスでチャンピオンを獲得したワークスマシン、RS250R-Wのノウハウを活かした生粋のレーサーレプリカを送り出す。それが初代NSR250R(MC16型)である。

歴代NSRの性能・特徴を振り返る

画像1: 歴代NSRの性能・特徴を振り返る

今もなお忘れることのない感覚とあの匂い

NSRに初めて乗ったときは面食らった。RCバルブというホンダ独自の排気デバイスによって低中回転域でも意外に扱いやすく、高回転域でのピーキーさも薄いのだが、とにかく乗り心地が硬く、公道の速度域ではハンドリングも重くて狙ったラインのトレースが難しい。たぶんサーキットでの戦闘力を優先し、ハイグリップタイヤ+高荷重に合わせて車体を作った結果だろうが、サーキット以外でも乗りやすいTZRとは対称的だった。

ワークスマシンのNSR250に乗せて貰ったときは、身のこなしの軽さに驚いた。旋回中に頭の傾きを変えるだけでラインが変わるような軽さ。現在のモンキー125よりも軽い90kg台の車重に90PS近いパワーの組み合わせなんて、今のライダーに想像できるだろうか。

NSRの二代目となるのが完全新設計のMC18型。1987年11月発売の88年型で、マニアは「ハチハチ」と呼んでいた。今では伝説扱いされているが、確かにハチハチの速さは別格だった。カタログ値は自主規制値上限の45PSながら実際は50PS程度で、シート下のリード線を1本抜くとRCバルブの開度リミッターが解除されて55PSオーバー。

画像2: 歴代NSRの性能・特徴を振り返る

チャンバーを装着してキャブセッティングを変えると約68PS、F3レース仕様では約80PSと、市販レーサーRS250Rと同等のパワーを発揮。一新された車体もハンドリングのシビアさが薄れ、峠道レベルでも扱いやすくなった。

ホンダのレース部門であるHRCとの関係が深まったことで、市販車のNSR250Rにレース用キットを組み込んだレース専用モデルが「NSR250RK」として発売され、僕が監督を務めていたチームでも2台走らせていた。タイム的には純レーサーのRS250Rより僅かに劣る程度で、富士スピードウエイでのテストでは240km/h近い最高速を記録したのを覚えている。

MC18型の「後期」と呼ばれるのが1989年2月発売の1989年型。チャンバー形状の変更とエンジンコントロールユニットの進化でオーバーレブ特性が良くなり、ギア選択に迷うコーナーでも乗りやすくなった。このあたりはサーキットでの戦闘力に対する拘りだろう。キャスター角の見直し、前後ラジアルタイヤの採用でハンドリングの素直さも増し、形式名は同じMC18だが別物に仕上がっていた。

当時のF3や耐久レースは2スト250cc車と4スト400cc車の混走だったが、MC18の登場で、それまでの「4スト優位」という勢力図が一変。1990年の鈴鹿4耐ではNSRが2スト車として初優勝。速さに加え、耐久性も飛躍的に上がった結果だった。

画像3: 歴代NSRの性能・特徴を振り返る

三代目のNSRが1990年2月発売のMC21型。チャンバーとの干渉を避け、排気チャンバーを効率よくレイアウトできる、湾曲デザインのガルアーム(スイングアーム)、リアタイヤの17インチ化が判りやすい違いだが、実はエンジンも主要パーツを大きく変更して中高回転域のパンチ力を増した新型で、フレームも剛性バランスを見直した新作。前後サスペンションの減衰特性も変更された。

僕は歴代のNSRに試乗しているが、最も好みに合うのがMC21。MC16/18の車体はガチガチ感が強くてラインに乗せることに気を使ったが、MC21は旋回中と立ち上がりのコントロール性と接地感が劇的に高くなり、レースで競り合ったときや峠道のようなRの読めないコーナーでも無理が効いて、手足のように扱えるハンドリングにまとまっていた。

NSRシリーズは絶版車市場でプレミア価格になってるが、僕なら切れのいい乾式クラッチと前後サスの調整機能を備えた「SE」か、SEのホイールを軽量なマグテックに換えた「SP」を選ぶ。

 

画像4: 歴代NSRの性能・特徴を振り返る

10年という中に詰め込まれた濃すぎる魅力

1990年代に入るとレースブームは沈静化に向かう。追い打ちを掛けるように1992年から馬力の自主規制値が「250ccで40PS以下」に引き下げられ、誤差も認められないことに。レーサーレプリカの存在意義が問われる状況になったが、ホンダは開発を進め、1993年11月に四代目となるMC28型をリリース。

エンジンは排気チャンバーの入り口を絞って40PSに抑えていたものの、チャンバーを交換すれば本来のパワーを取り戻し、カードキー内に収められた制御プログラムを書き換えることでフルパワー仕様にできた。

車体もスイングアームを片持ちとしたほか、ディメンションを変更し、さらにラインの自由度が高められた。シリーズの中で最も街乗りが楽で、峠道を駆け足で流すような走り方も快適。ある意味、時代に合ったキャラクターなのだが、ユーザーのレプリカ離れが進んだことで開発が止まり、1999年に生産を終了した。

NSRはレースブームを牽引し、常識破りの短いスパンで進化、レースブームの終焉と共に消えた。今後、似たキャラクターのオートバイが登場することはないだろう。試乗できる機会があれば、2スト250ccレプリカの世界を体験して欲しい。きっと走りに特化した乗り味にロマンを感じるはずだ。

文:太田安治、オートバイ編集部/写真:赤松 孝、松川 忍、南 孝幸/協力:Bikers Station、H&L PLANNING

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