「カローラ並みの予算で買えた」今見ても美しいトヨタのミッドシップスポーツカー。「常識にとらわれない」発想が生んだ名作を紹介1984年、トヨタの冒険心から誕生した日本初の量産ミッドシップ・スポーツ「MR2」。豊田英二社長の「常識にとらわれないクルマを」という号令のもと、実用車パーツを流用しつつ運動性能を追求した野心作だ。エッジの効いたデザインと軽快な走りは、マニアのみならず幅広い層を魅了。2シーター車としては異例の半年で1万台超を販売し、1984年度日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、歴史に名を刻む名車となった。 ●文:横田晃(月刊自家用車編集部) エンジンやトランスアクスルはFFカローラのものを前後逆にして流用することで、低価格を実現。ミッドシップ2シーターでありながら、MR2は豊かな時代のセカンドカー需要を見据え、経済性や合理性まで考慮されて開発された。4A-GELU型直列4気筒DOHCエンジン 【写真 13枚】「このデザイン、今は逆に新しい」「素直にカッコいい」トヨタのミッドシップスポーツカーMR2 カローラ+αの予算で買えた、ミッドシップならではの切れ味抜群の旋回性能 年々実質給与が下がり続ける情けない時代を生きる現代日本のサラリーマンには、20年間で収入が20倍になる時代など、夢物語か寝言にしか聞こえないかもしれない。けれどかつて日本には、確かにそんな時代があった。 初めての東京オリンピックが開催された1964年から20年後の1984年にかけて、日本のサラリーマン家庭の世帯所得は本当に20倍になった。新幹線や高速道路の延伸とリンクするように、企業業績も右肩上がり。カローラやサニーで始まったマイカー時代は、セリカやスカイラインによって若者にも到達し、真面目に働けば誰もがクルマを持てるようになった。 そうした時代の大変化は、自動車メーカーの商品企画にも影響を与えた。貧しい時代には広さや豪華さといったわかりやすい優劣で決したクルマ選びは、豊かな時代には個性や走りの味といった部分での勝負になる。日本初のミッドシップ乗用車となったMR2も、日本がそんな時代を迎えたことを物語るモデルだった。 初代MR2の企画は、当時の豊田英二社長の「常識にとらわれないクルマ」というオーダーから始まっている。ただし、当時の日本の自動車市場においては挑戦的な内容だったが、当のトヨタにとっては、その企画と開発自体はもはや困難な仕事ではなかった。 海外では、大衆FF車のフィアット128のパワートレーンを使ったミッドシップスポーツのX1/9という格好のお手本が1972年に登場しており、トヨタでは1983年春に登場する5代目カローラの4ドアと5ドアのセダン系をFF化することもすでに決まっていた。軽量コンパクトなそのパワートレーンを流用すれば、低コストでミッドシップスポーツカーを成立させることができたのだ。 当時の日本車は走りの研究が進み、FF車でもFR車と遜色ないスポーティなハンドリングがようやく見えてきた頃だ。しかし日本人が初めて経験するミッドシップの乗り味は、そのどちらとも違う新鮮で魅力的なものだった。 前後重量配分は45:55とややリヤ寄りで、機敏に回頭させるには積極的な荷重移動を必要とした。しかし一旦コーナリング姿勢に入ってしまえば、スロットルペダルを踏めば踏むほど腰から回り込んでいくような、これぞスポーツカーと思わせる安定した、しかし切れのいい旋回が楽しめたのだ。 それでいて、ベースとなったカローラファミリー並みの予算で手に入る初代MR2がその年の日本COTYを獲得したのも、当然と言える結果だった。 MR2 1600G-Limited(1984年) 【主要諸元】 MR2 1600G-Limited(1984年)●全長×全幅×全高:3925㎜ ×1665㎜ ×1250㎜ ●ホイールベース:2320㎜ ●車両重量:940㎏ ●エンジン(4AGELU型):水冷直列4気筒16バルブDOHC1587㏄ ●最高出力(グロス):130PS/6600rpm●最大トルク:(グロス)15.2kg-m/5200rpm●10モード燃費:12.8㎞ /L●最小回転半径:4.8m●燃料タンク容量:41L●サスペンション(前/後):ストラット式独立/ストラット式独立●ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ディスク●トランスミッション:前進5段・後進1段●タイヤサイズ:185/60HR14●乗車定員:2名 ◎新車当時価格(東京地区):179万5000円エンジンをリヤミッドシップに搭載するため、エンジンルームと居住空間を遮断するかのようにリヤガラスはシート後部に垂直に設置。エンジンルーム後部には小さいながらもトランクルームを装備する。【写真 13枚】「このデザイン、今は逆に新しい」「素直にカッコいい」トヨタのミッドシップスポーツカーMR2 ミッドシップの特性を考え、ターボよりリニアな特性のスーパーチャージャーを選択 トヨタは1984年から、走りの楽しさを訴求する「FUN TO DRIVE」キャンペーンを展開していた。メカニズムもこの時代に一新されており、レビン/トレノやMR2に積まれる軽量高効率な4A-G型に代表されるLASRE(レーザー)エンジンシリーズや、高い接地性と快適性を両立させるPEGASUS(ペガサス)と呼ぶサスペンションなど、走りを大きく進化させる技術が出揃ったところだった。 ただし、旧世代のFRシャシーに高性能な4A-G型ツインカムエンジンを積み、結果として自在に振り回せたレビン/トレノと比べると、ミッドシップレイアウトならではのオン・ザ・レール感覚のMR2の走りは、ドリフトなどの派手な走りを好む当時の腕自慢のドライバーには、刺激に欠けると映ったのも事実ではあった。 じつは、初代MR2の広告などにスポーツカーの文言はない。当時の日本ではまだスポーツカー乗りと暴走族を混同する人が多く、監督官庁の運輸省(現・国土交通省)はスポーツカーを名乗るクルマを認可しなかったし、メーカーも謳わなかったのだ。 それでいて刺激を求められたことが、MR2には悲運だった トヨタは1986年のマイナーで、4A-G型にルーツ式のスーパーチャージャーを装着してネット145PSまでパワーアップ。パワフルな走りを求める市場の声に応えるとともに、ガラストップのTバールーフ車も加えて、このクルマの魅力の幅を増した。 当時の日本の過給エンジンと言えばターボが主流だったが、あえてスーパーチャージャーが選ばれたのは、限界領域での運動特性がナーバスになりがちなミッドシップ車との相性を考えた、開発陣の良識だったと言えるだろう。 回転上昇に合わせたリニアな出力特性が引き出せるスーパーチャージャーによる過給なら、コーナリング中に多少スロットルを踏みすぎても、ターボラグと呼ばれる時間差を経ていきなり大パワーが盛り上がるターボより、限界領域での安全マージンは大きい。 しかし、1980年代後半の当時はホンダのZC型やB16型、日産のRBやCAシリーズなど、素性のいいスポーツエンジンが続々と登場し、バブル景気とあいまって速さが正義のように言われるようになっていた時代だ。 実際には、MR2の走りはけっして遅くはなかったが、素性のよさや開発陣の良識による安定志向の走りは、ヤンチャなドライバーやジャーナリストにはまだ退屈と映ってしまったのである。 MR2 1600G-LimitedスーパーチャージャーTバールーフ(1986年) 「パワフル・ミッドシップ」のカタログコピーとともに登場したスーパーチャージャーは、当時1.6Lクラス最強のパワーを誇った。【主要諸元】●全長×全幅×全高:3925㎜ ×1665㎜ ×1250㎜ ●ホイールベース:2320㎜●車両重量:1100㎏ ●エンジン(4A-GZE型):水冷直列4気筒16バルブDOHC1587㏄ +スーパーチャージャー●最高出力(ネット):145PS/6400rpm●最大トルク(ネット):19.0kg-m/4400rpm ●10モード燃費:11.8㎞ /L●最小回転半径:4.8m●燃料タンク容量:41L●サスペンション(前/後):ストラット式独立/ストラット式独立●ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ディスク●トランスミッション: 前進5段・後進1段●タイヤサイズ:185/60R14 82H●乗車定員:2名 ◎新車当時価格(東京地区):225万円「パワフル・ミッドシップ」のカタログコピーとともに登場したスーパーチャージャーは、当時1.6Lクラス最強のパワーを誇った。 【主要諸元 MR2 1600G-LimitedスーパーチャージャーTバールーフ(1986年)】 ●全長×全幅×全高:3925㎜ ×1665㎜ ×1250㎜ ●ホイールベース:2320㎜●車両重量:1100㎏ ●エンジン(4A-GZE型):水冷直列4気筒16バルブDOHC1587㏄ +スーパーチャージャー●最高出力(ネット):145PS/6400rpm●最大トルク(ネット):19.0kg-m/4400rpm ●10モード燃費:11.8㎞ /L●最小回転半径:4.8m●燃料タンク容量:41L●サスペンション(前/後):ストラット式独立/ストラット式独立●ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ディスク●トランスミッション: 前進5段・後進1段●タイヤサイズ:185/60R14 82H●乗車定員:2名 ◎新車当時価格(東京地区):225万円 モデルチェンジのたびにキャラを激変させた、MR2とトヨタの挑戦 1980年代後半のバブル景気は、日本人のモノを見る目を大いに肥やした。輸入車の販売台数も毎年のように過去最高を更新。しかも、それまでの日本の輸入車市場の主役だった大排気量のアメリカ車から、上質な乗り味や個性、スポーティなハンドリングが楽しめる欧州車へと人気が移っていった。 国産車もより常用速度の高い、欧州車の技術や乗り味をベンチマークとするようになった。そうして、セルシオやスカイラインGT-R、Z32型フェアレディZ、ユーノスロードスターなどの名車が誕生した奇跡のような1989年に、MR2も2代目へと歩を進める。その内容は、まさにバブリーだった。 フェラーリを思わせるデザインは5ナンバーサイズこそ守ったものの、全長は初代から220㎜ も延長。引き続きリヤミッドに搭載されるエンジンは、初代の1.6Lから2Lに拡大された。ひとクラス上のセリカから譲り受けたそれは、ターボ付きでは225PS、後期には245PSを絞りだした。 おかげで初代でさんざん指摘された刺激不足の評は払拭したが、今度はやり過ぎだった。高性能ミッドシップ車の経験不足は如何ともしがたく、登場当初のボディと足回りは熟成不足を露呈。しかも一拍遅れて炸裂するターボパワーは限界領域のコントロールを一層難しくしており、おまけにブレーキも容量が足りなかった。 荒れ狂うじゃじゃ馬を乗りこなすのもスポーツカーの魅力のひとつだろうが、2代目MR2は日本の公道でその限界性能を引き出すのは難しいクルマだったのだ。 かくして1999年に登場した3代目は、同じミッドシップレイアウトでもまるで別人のようなキャラクターとなる。ユーノスロードスターで広く認知された、等身大の性能を乗りこなす楽しさが味わえるスポーツカーという路線だ。 全長はふたたび4ⅿ以下に切り詰められた一方で、ホイールベースは2代目からさらに延長。搭載されるエンジンはNAの1.8Lで、最高出力は初代後期をも下回る140PSしかない。 その代わりに、よくできた幌によるオープンエアドライブの楽しさや、2ペダル式の自動MTによるダイレクト感のあるイージードライブ性能が付与されていた。 当時は2代目からのあまりのキャラクターの変貌ぶりに、メディアも市場も戸惑ったものだ。しかし、今やスポーツカーの価値は必ずしも速さではなく、操ること自体を楽しめる味わいにあることを誰もが理解している。歴代のMR2は、どれも生まれるのが少しだけ早すぎたのかもしれない MR2 2000GT Tバールーフ(1989年) ※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。