「こんなモノが売れたら、社内を逆立ちして歩いてやる」否定的な意見が多い中、未知数の可能性に挑戦した”世界最小の本格クロスカントリー4WD”現行ジムニーを見て「カッコイイ」と興味を持つ人も多かったことだろう。でもそんな生半可な気持ちで購入すると後悔するぐらい、ジムニーは本格オフローダーなのだ。最新タウンカーに比べるとずいぶん乗り心地は悪いし、お世辞にも静かとは言えない。それでもジムニーはその圧倒的な悪路走破性と存在感で、世界中で愛され続ける。初代発売からすでに半世紀。ジムニー誕生とその進化を辿る。 ●文:横田晃(月刊自家用車編集部) 【画像17枚】→「えっ…ジムニーの原型ってこんな感じなんだ?」反対意見を押し切って発売。今では超人気車種に “万能軽四駆”という企画は、一発逆転を目指した弱小メーカーから生まれた クルマの開発には大金がかかる。たった1枚のドアを開発するだけで、そのコストは億単位になるという。いかに自動車メーカーが大企業でも、「売れなかったね」では済まされないのは当然だ。 そこで開発者たちは、入念な市場調査をもとに、想定購買層にぴたりと合わせたクルマを造る。結果、大外れもない代わりに、誰もがあっと驚くような斬新な企画は、通りにくいのも事実。「最近のクルマはつまらない」と吐き捨てるのは簡単だが、そこには深い大人の事情が横たわっているわけだ。 ところが、日本にモータリゼーションがようやく到来した1960年代後半には、そんな精度の高い市場調査はなく、小さなメーカーでは、鶴の一声で新型車の開発が決まった例もあった。おかげでまったく売れずに消えたモデルやメーカーがある一方で、世界を驚かせる企画も世に出ることができた。 世界最小の本格クロスカントリー4WD車「ジムニー」もそうした背景から生まれた1台だ。 ジムニーの原型は、1950年代に軽三輪トラックなどを開発販売していたホープ自動車が、1968年に発売した「ホープスターON360」というクルマだった。ホープ自動車の創業者である小野定良は、自動車修理業からメーカーを志した、本田宗一郎にも通じる経歴の人物になる。 【ホープスターON360】ジムニーの原型と言われる軽4×4。三菱ミニカのエンジンを積み、不整地万能車として駆動系を構築。富士山などでのテストを経て生産が始まったが、55万円という価格もネックとなり、100台程度で販売終了。【ホープスターON360】ジムニーの原型と言われる軽4×4。三菱ミニカのエンジンを積み、不整地万能車として駆動系を構築。富士山などでのテストを経て生産が始まったが、55万円という価格もネックとなり、100台程度で販売終了。 ただし、エンジンの開発から始まったホンダに対して、ホープ自動車はフレームとボディこそ自社開発するものの、他の多くの部品は市販品を組み合わせるという、中小企業らしい手法をとった。 マツダやダイハツなどの大メーカーが同じ軽三輪という市場で本格的に攻勢をかけてくると、とても勝負にならず、1965年に一度は自動車メーカーとしての活動を終え、遊園地の乗り物などのメーカーへと転じる。しかし、諦めきれない小野は、大メーカーが手を出さない企画として軽自動車規格の4WD車を造り、捲土重来を期したのだ。 今回もエンジンやトランスミッションは三菱、ブレーキはダイハツなどの寄せ集め部品による構成だったが、その走破性は高く、プロモーション用に作られた8mmフィルムには、富士山の八合目まで駆け登る様子が記録されていた。 しかし、小メーカーの悲しさ。ON360は、国内で15台程度、東南アジアでも30台ほどが売れたにすぎなかった。ついにギブアップした小野が泣く泣く手放したその夢の製造権を買い、社内の反対の声を押し切って発売にこぎつけたのが、当時東京駐在常務で、後に社長・会長を歴任した鈴木修(故人)だった。 【スズキ 初代ジムニー(LJ10型)】オーストリアの軍用車ハフリンガーを研究するなど、新ジャンルの4×4軽自動車開発を模索していたスズキ。ホープスターONの製造権を買い取り、その開発は一気にスピードアップしていった。【スズキ 初代ジムニー(LJ10型)】オーストリアの軍用車ハフリンガーを研究するなど、新ジャンルの4×4軽自動車開発を模索していたスズキ。ホープスターONの製造権を買い取り、その開発は一気にスピードアップしていった。 【画像17枚】→「えっ…ジムニーの原型ってこんな感じなんだ?」反対意見を押し切って発売。今では超人気車種に 雪国の警察や郵便局などの切実なニーズを取り込み、ヒット車となったジムニー 1960年代後半から1970年代にかけての日本は、高度経済成長のピークにあった。懸命に働いて戦後の窮乏時代を脱し、豊かさを手に入れた日本人は、マイカーを現実のものとし、休日のドライブが幸せなライフスタイルのシンボルになる。そうして到来したのが、空前のレジャーブームだ。 自動車メーカーもそのトレンドを逃さず、遊び心のあるクルマを企画した。ただし、ダイハツ フェローバギィやホンダ バモスホンダなどは、既存の軽トラックなどのフレームに、簡単なボディをかぶせたもので、企画としては面白かったものの、ヒットに至ることはなかった。 フロンテなどの成功で、軽自動車メーカーとしての地位をすでに確立していた鈴木自動車工業(現スズキ)でも、ジープタイプをふくめたレジャーカーの企画が研究されてはいたが、その可能性は未知数。鈴木修常務(当時)がほとんど独断で開発販売を決めたON360がベースの4WD車にも、「こんなモノが売れたら、社内を逆立ちして歩いてやる」と息巻く重役さえいたという。 ところが、キャリイ用の空冷2気筒2サイクルエンジンを積み、ウインチなども使えるPTO(外部出力軸)も設定された本物のオフローダーに仕立てられたジムニーは、見事に売れたのだ。 発売初年だけで、当時の“本家”である三菱ジープをしのぐ、5000台近くを販売。翌年には6000台以上を売る。当初は外注工場でのハンドメイドで、月産200台程度を見込んでいたが、たちまち自社工場のラインで量産されるまでになった。 その実力を評価したのは、まず警察/営林署/郵便局などだった。国土の過半を占める積雪山林地帯を、縫うように走る狭い道路で業務を遂行するには、ジープやランドクルーザーなどの本格オフロードカーは持て余す。小さくても高い走破性を備え、48万2000円という販売価格も含めた運用コストも安いジムニーは、レジャーカーには満たせない、切実なニーズを掘り起こしたのである。 その実力は海外でも高く評価された。ブルートの名で輸出された北米を始めとする世界の市場で、ジムニーはスズキの名を広めたのだ。軽自動車規格のない海外市場向けに開発した800cc /1L/1.3Lなどのエンジンは、スズキのその後の海外戦略にとっても重要な武器となり、国内でも小型車市場進出の足がかりとなった。綿密な市場調査も行われなかったジムニーは、浮かれたレジャーブームとは無縁の、本物の実用車として世界中で愛されていった。 【スズキ 初代ジムニー LJ20型(1972年式)】初期型(LJ10型)の登場からわずか2年後の1972年に、空冷2サイクル2気筒エンジン(FB型)から水冷2サイクル2気筒エンジン(L50型)に換装。合わせて、型式もLJ10型からLJ20型に変更された。エンジンを水冷化したことにより中低速が増強され乗りやすくなったが、最大の恩恵はヒーター性能の向上。またフロントグリルは横から縦に変更された。■主要諸元●全長×全幅×全高:2995 ×1295 ×1670mm ●ホイールベース:1930mm ●トレッド(前/後):1090/1100mm ●車両重量:625kg ●乗車定員:2(4)名 ●最大積載量:250kg ●エンジン(L50型):水冷直列2気筒2サイクル359cc ●最高出力:28PS/5500rpm ●最大トルク:3.8kg-m/5000rpm ●最小回転半径:4.4m ●トランスミッション:前進4段/後進1段 2段副変速機 ●タイヤ:6.00-16 4PR ◎新車当時価格(東京地区):48万9000円【スズキ初代ジムニー(LJ10型)】最初期のLJ10型は幌モデルのみの設定。それまでこの手の4×4は、土木事業所/警察/営林署など公的機関がメインユーザーだったが、ジムニーは手頃な価格で一般ユーザーにも広く愛された。発売の翌年には早くもマイナーチェンジが実施され、エンジンは27ps/ 3.7kg-mにパワーアップ。燃焼式ヒーターやボンネットロック機構なども採用される。■主要諸元 ●全長×全幅×全高:2995×1295×1670mm ●ホイールベース:1930mm ●トレッド(前/後):1090mm/1100mm ●車両重量:600kg ●乗車定員:2(3)名 ●最大積載量:250kg ●エンジン(FB型):空冷直列2気筒2サイクル359cc ●最高出力:25ps/6000rpm ●最大トルク:3.4kg-m/5000rpm ●最小回転半径:4.4m ●トランスミッション:前進4段/後進1段 2段副変速機 ●タイヤ:6.00-16 4P ◎新車当時価格(東京地区):48万2000円 ◆開発コストがかけられなかったジムニーLJ10型は、平面を組み合わせた直線的なボディラインとなった。強度を増すために鉄板にはプレスで波形を入れている。 ◆むき出しの鉄板に計器が埋め込まれたLJ10型のインパネ。計器は左が120km/hリミットの速度計、右が燃料計と各種警告灯。 ◆LJ10型は荷室に簡易タイプの折りたたみ式シートがひとつ用意され、最大3人乗車ができた。荷室の積載量は最大で250kg。 【スズキ 初代ジムニー LJ20型(1972年式)】初期型(LJ10型)の登場からわずか2年後の1972年に、空冷2サイクル2気筒エンジン(FB型)から水冷2サイクル2気筒エンジン(L50型)に換装。合わせて、型式もLJ10型からLJ20型に変更された。エンジンを水冷化したことにより中低速が増強され乗りやすくなったが、最大の恩恵はヒーター性能の向上。またフロントグリルは横から縦に変更された。■主要諸元●全長×全幅×全高:2995 ×1295 ×1670mm ●ホイールベース:1930mm ●トレッド(前/後):1090/1100mm ●車両重量:625kg ●乗車定員:2(4)名 ●最大積載量:250kg ●エンジン(L50型):水冷直列2気筒2サイクル359cc ●最高出力:28PS/5500rpm ●最大トルク:3.8kg-m/5000rpm ●最小回転半径:4.4m ●トランスミッション:前進4段/後進1段 2段副変速機 ●タイヤ:6.00-16 4PR ◎新車当時価格(東京地区):48万9000円 ◆幌モデルだけだったジムニーだが、1972年のエンジン水冷化(LJ20型)とともに初めてバンモデルが追加になる。また幌には荷室左右に2脚の4人乗りが追加される。 ◆LJ20型のインパネ。空冷のLJ10型と基本デザインは変わらないが、各種警告灯の入る右メーターに水温計が追加されている。4速の主変速シフトと2速のトランスファーの左、助手席側の床から伸びているのはハンドブレーキレバー。 ◆初期型(LJ10型)では3人乗り(法規上は軽トラックだったので2名乗車が原則)だったが、LJ20型では4人乗りを設定。荷台に大きな荷物を積むときは座面を跳ね上げて使う。後方から乗り降りしやすいようにステップも用意されていた。 ◆LJ20型4人乗り幌タイプの透視図。水冷エンジンを積んだ同モデルはその耐久性をテストするため、当時世界最大のオフロードレースだったメキシカン1000(現在のバハ1000)に参戦。クラス7位で完走を果たしている。 ◆軽自動車規格の拡大に合わせて登場したジムニー55(SJ10型)。エアクリーナーなどの変更により、ボンネットフードはふくらみがつけられ、前部に4本のスリットも入った。 【スズキ 初代ジムニー SJ10型(1976年式)】■主要諸元 ●全長×全幅×全高:3170×1295×1845mm ●ホイールベース:1930mm ●トレッド(前/後):1110/1100mm ●車両重量:675kg ●乗車定員:2(4)名 ●最大積載量:250kg ●エンジン(LJ50型):水冷直列3気筒2サイクル539cc ●最高出力:26ps/4500rpm ●最大トルク:5.3kg-m/3000rpm ●最小回転半径:4.8m ●トランスミッション:前進4段/後進1段 ●タイヤ:6.00-16 4PR 【スズキ 初代ジムニー SJ20型(1977年式)】1977年、世界戦略モデルとして、スズキ初の797cc4サイクルエンジン(F8A型)を搭載したジムニー8/エイト(SJ20型)。ジムニー初の小型車登録モデルで、現行のジムニーシエラへと引き継がれている。■主要諸元 ●全長×全幅×全高:3170mm ×1395mm ×1845mm ●ホイールベース:1930mm ●トレッド(前/後):1190/1200mm ●車両重量:715kg ●乗車定員:2(4)名 ●最大積載量:250kg ●エンジン(F8A型):水冷直列4気筒4サイクル797cc ●最高出力:41ps/5500rpm ●最大トルク:6.1kg-m/3500rpm ●最小回転半径:4.9m ●トランスミッション:前進4段/後進1段 ●タイヤ:6.00-16 4PR 初代ジムニーの変遷 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