オートバイという乗り物が日本中の若者を熱狂させていた1980~1990年代。誰もが恋焦がれた伝説の名車たちを、当時の資料や思い出とともに『月刊オートバイ』テスター歴もうすぐ50年の太田安治が振り返っていくこの企画。栄えある第一回は、1980年に登場、当時“最後の2ストスポーツ”と呼ばれ、世界中を衝撃の渦に巻き込んだ、ヤマハ・RZ250を紐解いて行く。写真:小平 寛、松川 忍、関野 温、盛長幸夫、山口真利 文:太田安治、webオートバイ編集部画像1: 【新連載!】伝説の名車をプレイバック! 太田安治の「あのころ 名車 クロニクル」第1回・ヤマハ「RZ250」(1980)太田安治19歳で『月刊オートバイ』編集部に出入りを始め、数年後にはテスター稼業をスタート。この道もうすぐ50年になる大ベテラン。日本中がバイクブームに沸いた1980年代、1990年代は青春まっただ中で、いまや伝説となった名車たちをリアルタイムで満喫。自身もRD350、Z2、CB750F、CBX400Fなどを乗り継ぎ、1984年にはレース活動を始め、1986年には国際A級に昇格。ビールと泉谷しげると吉田拓郎をこよなく愛する。ヤマハ「RZ250」(1980)プレイバック①日本中のライダーを熱狂させた2ストスポーツの金字塔YAMAHA RZ250 1980年総排気量:247cc エンジン形式:水冷2スト ピストンリードバルブ並列2気筒 シート高:790mm 乾燥重量:139kg(乾燥)価格:35万4000円(当時)1979年の第23回東京モーターショーで姿を現したRZ250の注目度は凄まじかった。RZを展示したステージの前には若いライダーが押し寄せて熱視線を送り、他メーカーやカスタムパーツメーカーの開発者は車体の構造を細かくチェックしてメモを取る。雑誌記者は説明員から詳細な情報を聞き出すことに躍起となり、カメラマンはひたすらシャッターを切り続ける。その熱狂ぶりは凄まじく、RZは発売前から大ヒットが約束されていたようなものだった。画像1: ヤマハ「RZ250」(1980)プレイバック①「ヤマハが全く新しい250ccのロードスポーツを開発している」という情報は、実は発表の半年ほど前、すでに当時のオートバイ編集部に届いていた。ヤマハの本社と工場がある静岡県磐田市と、テストコースがある袋井市付近で、公道テストの目撃談や写真が寄せられていたのだ。そして1979年9月のパリショーで輸出仕様の「RD350LC」が発表され、国内向け250ccモデルの登場は確定的に。あとは発売を待つばかりとなり、当時の編集部では定地テストやライバル対決ほかの誌面アイデア出しも進められていた。RZ250が実際に発売されたのは1980年8月で、価格は前モデルにあたるRD250の29万5000円に対して35万4000円。約6万円の価格差は当時のライダーにとって大きかったが、それでも発売前からオーダーが殺到。特に人気の高い白/赤のグラフィックは、納車まで3ヶ月以上という状態が続いた。『月刊オートバイ』1980年2月号より。撮影車はプロトタイプで、ウインカーなどが市販車と異なっている。RZ250が注目を浴びた最大の理由は完全新設計の2ストロークエンジン。ヤマハのロードレース用市販レーサー「TZ250」のノウハウを活かした水冷2ストローク並列2気筒は、当時クラス最高の35馬力を発生。スポーツ性能を優先した設計だけに、低中回転域ではモワ~ッとしたけだるい反応で、発進時のエンジン回転数とクラッチ操作には気を使った。しかし、6000回転を超えると一気に目覚め、乾いた排気音に変わってパキ~ン! と加速する。デビュー直後にオートバイ誌が富士スピードウエイで行ったテストでは、最高速が約168km/h、0~400m加速が13秒76と、ライバル車だったスズキRG250Eやホンダスーパーホーク(CB250T)をまったく寄せ付けず、4ストロークの400ccモデルと同等の速さを見せた。1980年、富士スピードウェイで開催された「読者大会」でのひとコマ。発売直後のRZ250も多数参加した。加速の勢いが弱まるのは9000回転あたりで、当時のライダーは3000回転ほどのパワーバンドをキープして走る楽しさ、痛快さに夢中になり、1960年代終盤までの2ストロードスポーツ車にあった鋭さを取り戻したような加速特性に酔いしれた。それだけに、現在の扱いやすいオートバイしか知らないライダーが当時のRZ250に乗ったら、高い確率でエンストを連発するだろう。ただ、その「壁」を乗り越えたとき、「パワー特性が変わるのが面白い!」と感じるか、それとも「最新モデルの方が乗りやすくていい」となるのか…。RZを含めた旧車に対する考え方はそこで大きく変わるはずだ。画像2: ヤマハ「RZ250」(1980)プレイバック①車体も完全な新設計で、特にエンジンをぐるりと取り囲むような構成の、製造に手間が掛かるフレームの採用が画期的と評された。さらに2つのシリンダーが交互に爆発することでエンジンを左右に揺するように発生する偶力振動に対応するため、ヤマハは「オーソゴナルマウント」と呼ぶエンジンマウント方式を採用。フレーム前後のエンジン固定部に特殊な防振ラバーを介し、アイドリングではエンジン全体が見た目にもブルブルと震えているが、回転上昇に伴って振動がスッと消えていく、というのもRZの特徴だった。サスペンションはリバウンド(伸び側)のストロークを多く取った設定で、衝撃吸収性を考慮したスポークデザインの前後ホイールと合わせて乗り心地は意外に優しく、街乗りもツーリングも快適。後に「レーサーレプリカのパイオニア」と評されたRZだが、サーキット適性を追求した設計ではなく、あくまでも公道での楽しさを重視していたのが「ハンドリングのヤマハ」らしいところだった。ヤマハ「RZ250」(1980)プレイバック②宿命のライバル対決・RZ250vsVT250FHONDA VT250F 1982年総排気量:248cc エンジン形式:水冷4ストDOHC4バルブV型2気筒 シート高:780mm 車両重量:149kg(乾燥)価格:39万9000円(当時)こうして国内250ccクラスの主役となったRZだったが、当時はホンダとヤマハが国内のトップシェアを競う「HY戦争」の真っ只中。「4ストのホンダ」は1982年6月に、4ストロークながら超高回転型エンジンからRZと同じ35馬力を絞り出すVT250Fで追撃態勢に入る。月刊オートバイ誌のライバル対決企画では鈴鹿フルコース、富士スピードウエイ、筑波サーキットでラップタイムバトルを行ったが、ヤマハの「ホンダには絶対に負けられない!」という気迫は鬼気迫るものがあった。サーキットまでワークスのトラックに4台のRZを積んできて、レース担当メカニックが帯同し、ワークスのレーシングライダーが乗るという、およそ雑誌の企画とは思えないピリピリした雰囲気。結果的にラップタイムも定地テストデータもRZの勝利だったが、その差は僅か。後に聞いた話では、テスト後にヤマハに戻ったテスト参加スタッフたちは祝杯を挙げたという。当時、高いスポーツ性能で二十歳前後の若いライダーの多くがRZの魅力に取り憑かれたが、女性ライダーの受けは良くなかった。2ストエンジンはオイルを燃やして潤滑するため、マフラーから出る排気ガス中に白煙が混ざり、マフラー内に溜まると黒いタール状になる。排気煙の匂いが髪や服に付く、走行中に飛散したタールで服が汚れる、といったことが敬遠されたのだ。当時は当たり前だが、モーターによるセルスターターがなく、キック始動だったことも影響していた。結果、女性ライダーから支持されたのはVT250Fの方だった。市販車ベースの車両で戦うプロダクションレースでも大活躍したRZだが、1983年2月に排気デバイス「YPVS」を装備し、最高出力を43馬力に引き上げつつ、初代RZの弱点だった低回転トルクの弱さを解決したRZ250Rへとフルモデルチェンジしたのだった。画像: ヤマハ「RZ250」(1980)プレイバック②初代RZ250の発売期間はわずか3年弱だったが、40数年が経過した現在でも多くの車両が生き残っている。爆発的に売れたうえに、大事に乗るライダーが多かったという、RZ250ならではの現象だ。ヤマハ「RZ250」(1980)カタログ写真館※一部シワ、退色や汚れは保存に伴う劣化によるものです画像1: ヤマハ「RZ250」(1980)カタログ写真館画像2: ヤマハ「RZ250」(1980)カタログ写真館画像3: ヤマハ「RZ250」(1980)カタログ写真館画像4: ヤマハ「RZ250」(1980)カタログ写真館画像5: ヤマハ「RZ250」(1980)カタログ写真館画像6: ヤマハ「RZ250」(1980)カタログ写真館画像7: ヤマハ「RZ250」(1980)カタログ写真館ヤマハ「RZ250」(1980)解説画像: ヤマハ「RZ250」(1980)解説自動車の排出ガス中の一酸化炭素や窒素酸化物を規制する「マスキー法」がアメリカで1970年に制定されたのをきっかけに環境問題が声高に叫ばれるようになると、自動車メーカーのみならず、バイクメーカーにも大きな影響が出始め、紫煙を吐きながら走る2ストローク車のイメージが悪くなり、対米輸出に陰りが出始めた。当時ヤマハは2ストロークエンジンを搭載する軽量・コンパクトなスポーツモデルを得意としてきたが、マスキー法の推進で、2ストスポーツは絶滅を免れないという予測もあった。ならば、技術の粋を集め、2ストスポーツの集大成となるモデルを造ろう、ということで企画・開発されたのがRZ250だった。レースシーンで培ったノウハウを惜しみなく投入し、エンジンは市販レーサー・TZと同じボア・ストローク比を採用。排出ガス浄化のため燃焼効率が徹底的に見直され、燃料と2ストオイルの分離給油やCDI点火も導入された結果、最高出力は35PSに達した。これはリッター当たり140PSという驚異的なもので、当時の250ccモデルとしては異例の高性能だった。この高性能エンジンとわずか139kgという軽量な車体との組み合わせで、RZは当時の花形だった400ccスポーツ車と互角のパフォーマンスを披露。ロードスポーツ車初となるカンチレバー式モノクロスサスペンションや前後キャストホイール、ハロゲンヘッドライトなど、当時最先端だった装備もどんどん投入され、精悍なスタイリングも好評だった。結果、RZは発売と同時に大ヒットを記録しただけでなく、2ストロークスポーツの魅力を世界に再アピール。4ストロークモデルへとシフトし始めていた当時の市場の流れを大きく変えることとなった。RZが登場していなかったら、その後のレーサーレプリカブームはなかった、と言っても過言ではないだろう。GKインダストリアルデザイン研究所(現在のGKダイナミックス)が手がけたスタイリングはムダを省いた精悍なもの。いま見ても新鮮だ。2ストパラレルツインエンジンは35PSを発揮。エンジンマウントはヤマハ独自のオーソゴナルエンジンマウント(ラバーマウント方式)を採用。フロントフォークはインナーチューブ径32mmの正立。ブレーキディスクはシングルで、兄弟車の350で標準だったダブルディスク仕様にカスタムするユーザーもいた。後ろに向かって跳ね上がった多段膨張式のチャンバーは高速域でのパワー特性を優先した独特な形状。リアブレーキはドラムで、ホイールは美しいデザインのキャスト。速度計と回転計の間に各種インジケーターが収まる、視認性に優れたレイアウトを採用。タコメーターの下側には水温計がレイアウトされている。シート自体は肉厚で座り心地のいいもの。前モデルのRDよりもRZ250の最低地上高は高くなったが、シート高はRDより20mmも低くなった。ヤマハ「RZ250」(1980)主なスペック・発売当時価格ヤマハ「RZ250」(1980)動画・写真ヤマハ「RZ250」(1980)関連記事ヤマハ「RZ250」1980年|持てる技術を惜しみなく注いだヤマハ渾身の2ストスポーツ【昭和の名車解説】 - webオートバイヤマハ「RZ250」歴史解説 - webオートバイホンダ「VT250F」1982年|2ストスポーツに4ストで勝つ! ホンダの意地と技術が詰まった傑作【絶版名車解説】 - webオートバイホンダ「VT250F」の系譜 - webオートバイ「RZ250」関連記事一覧 - webオートバイ