スカイラインがポルシェ超えの走りで話題に!! 日本の自動車「高性能化」1960年代~1970年代の歴史

日本の自動車の歴史は、自動車の高性能化と切り離して語ることはできない。クルマの歴史とは、高性能化を突き詰めることだといっても過言ではない。ここでは、日本の自動車の1960年代から1970年代までの高性能化の歴史を振り返る。
※本稿は2025年8月のものです
文:片岡英明/写真:トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2025年9月26日号
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日本車の高性能化はレースから始まった

1964年の第2回日本グランプリでスカイラインがポルシェを抜き、日本の高性能車の歴史が始まった
日本では欧米より50年ほど遅れてモータリゼーションの波が起こった。1955年、日本の元号では昭和30年に、クラウンと、ブルーバードの前身となるダットサンセダンが誕生している。だが、性能的には欧米のクルマに遠く及ばなかった。
高性能化に目覚めるのは第1回日本グランプリが開催された1963年だ。その勝敗が販売を大きく左右することがわかったし、技術レベルも向上するから高性能車を積極的に開発するようになる。
この時期、高性能車の必要性を自覚していたのは2輪の世界グランプリに挑んでいたホンダだけだ。時代に先駆けてDOHCエンジンを積むホンダ S500を発売した。
第1回日本GPで惨敗を喫したプリンス自動車は、スカイラインのボンネットを伸ばし、2Lの直列6気筒エンジンを押し込んだスカイラインGT(のちの2000GT-B)を限定発売し、第2回日本GPに投入。ポルシェ 904GTSとバトルを繰り広げ、高性能イメージを築き上げた。
高性能化に拍車がかかるのは、昭和元禄と呼ばれた1960年代後半だ。エンジンだけでなく足まわりなどにも新しい技術が盛り込まれている。トヨタは流麗で高性能な直列6気筒の2000GTを、マツダはロータリーエンジンを積むコスモスポーツを発売した。
いすゞはDOHCエンジンを積む117クーペに続き、ベレットにも高性能なGTRを追加する。パワフルなエンジンを積むSR311型フェアレディ2000、これもジャジャ馬スポーツカーの代名詞だ。

直6、2L・DOHCを搭載したZ432。432は4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトを意味している
1960年代終盤はパワー競争が一気に激化する。日産陣営に加わったスカイラインは直列6気筒DOHC4バルブのGT-Rを、本家のフェアレディにも同じエンジンを積むZ432が誕生した。トヨタもDOHC戦略を突き進めている。
排気量360ccの軽自動車にも高性能化の波が押し寄せ、リッター100psを誇示するベビーギャングが続々と登場した。ホンダ N360はツインキャブ仕様を、スズキは3気筒のフロンテにSSを設定。三菱 ミニカはGSSを、ダイハツもフェローMAXに高性能版のSSを加えた。
1970年代はDOHCエンジンを積むスペシャルティカー旋風が吹き荒れる。トヨタはセリカを、三菱はギャランGTOを誕生させた。トヨタは2T-G型DOHCを軽量コンパクトなクーペボディに移植したカローラレビンとスプリンタートレノ(TE27)も送り出す。
マツダもロータリーエンジンを積むサバンナを発売した。1973年以降は多くのメーカーが排ガス対策と燃費改善に力を注いだ。だが、1980年代を前にリトラクタブルヘッドライトのサバンナRX-7がベールを脱ぎ、レシプロエンジンもターボの力を借りて再び高性能を取り戻すようになる。