「楽しいというよりも、難しいことの方が多かった1年間でした」
2026年10月10日、ドイツ・ニュルブルクリンクで開催される「NLS耐久シリーズ」が閉幕した。トーヨータイヤとともに最高峰のSP9クラスへ挑んだ中山雄一(なかやま・ゆういち)選手は、シーズンを振り返ってそう語った。
世界の強豪が集う舞台で、速さを数字として突きつけられる日々。思い描いたタイムには届かず、結果を残すことの難しさを痛感した。それでも、何度も試行錯誤を重ねて見えてきたものがある。現時点での自分たちの強みと弱み、そして、これまで知らなかった可能性だ。
PROXESシリーズの開発に携わるドライバーとして、またPROXESブランドアンバサダーとして駆け抜けた約1年間の日々。シーズンを迎える前の取材では次から次へと話をしてくれた中山さんが、今回の取材では言葉を噛み締めながら、ひとつひとつの現場をなぞるようにして現在の想いを語ってくれた。その言葉からは、1年前にはまだ見えていなかった景色が浮かび上がってきた。
◆速さでしか証明できないこと
中山さんにとって、2026年シーズンは新たな挑戦の年だった。これまでのSP10クラスとは違い、世界のトップドライバーやメーカーがしのぎを削る最高峰SP9クラスへ「TOYO TIRES with Ring Racing」より参戦。その舞台で求められるのは、何よりも「速さ」という明確な結果だ。
国内のトップカテゴリーで優勝経験を持ち、タイヤ開発にも携わってきた中山さんだが、トーヨータイヤの開発現場で、その経験がすぐにエンジニアたちとの信頼関係に結びついたわけではなかった。
「アンバサダーという肩書きがあっても、現場の人たちはプロモーションの人ではなく、タイヤをつくる職人たちです。まずは自分のパフォーマンスを証明しなければ、僕の意見を実際に聞いてもらうところまではいけませんでした」
チームには、長年ニュルブルクリンクで戦ってきた経験豊富なドライバーたちがいる。まずは彼らと同等、あるいはそれ以上のタイムを出すこと。それが、中山さんにとって信頼を築くための第一歩だった。
限られた走行機会のなかでも、最初からチームメイトとほぼ同等のタイムを記録し、2回目あたりからは上回るようにもなってきた。そこで初めて、彼の言葉は確かな説得力を持ち始めたという。
「タイムを出すことでしか、僕のコメントの信憑性は伝えられないんです」
速さを証明することは、単にレースで勝つためだけではない。ドライバーが感じ取ったタイヤの特性を、開発に携わる人たちへ正しく届けるためにも必要なことだ。こうして中山さんは、レースと開発、2つの現場で信頼を築くためのスタートラインに立った。
◆「できない」が「できる」に変わるまで
信頼を得た先にも、乗り越えなければならない壁はあった。中山さんが感じ取ったタイヤの特性を、開発陣に正確に伝えることだ。メーカーによって開発手法や使う言葉が異なり、同じ表現でも受け取り方によっては、意図とは逆の方向へ進んでしまうことがあるという。
「目指しているのは、みんな同じ。速いタイヤをつくること、パフォーマンスの良いタイヤをつくることです。でも、そこに至るまでの考え方が違うこともあるので、まずは全員の理解を揃えることを意識して会話しました。現地に来るメンバーが毎回同じではないこともありますしね」
シーズン途中には技術部門の体制が変わり、固定メンバーではなく、様々なエンジニアが現地を訪れるようになった。ニュルブルクリンク特有の気候や路面状況、ライバルとの性能差は、数字や報告書だけでは伝わりきらない。実際のレースを目の当たりにし、中山さんと時間をかけて話し合うことで、開発陣の間にも共通の認識が生まれていった。
その変化は、タイヤづくりにも表れ始めた。当初は難しいとされていた課題に取り組めるようになり、新たな試作品が次々と生み出されていったのだ。
開発の焦点となったのは、路面に噛み込むグリップと、高速コーナリング時の大きな負荷を受け止める剛性の向上だった。もともとドリフトやオフロードでトーヨータイヤが培ってきた耐久性に加え、世界の強豪と戦うために、新たな技術領域にも積極的に踏み込んでいく。
シーズン前半は一度に3種類程度だった試作タイヤが、後半には8種類ほどレースの現場に持ち込まれるようになった。概算では年間で試したタイヤは約40種類にのぼるという。
中山さんは、タイヤが持つ特性を、まるで異なる個性のように捉えている。それぞれが持つ長所と短所を見極めながら、異なる特性を組み合わせて、さらに高い性能を目指していく。期待した結果が得られなかったタイヤでさえ、次の開発につながる発見がある。試作品の数が増えたことは、それだけ多くの可能性を試せるようになったことでもあった。
「最初は無理だと言っていたことも、どんどんできるようになっていったんです」
その進化を、中山さんは誰よりも自らの走りで感じ取っていた。月に一度のペースで世界のライバルたちとの実力差を突きつけられる厳しい環境だからこそ、開発のスピードも上がっていく。シーズン後半には、技術部門のスタッフが目指す方向へ一つになり始めたという感覚を得たそうだ。
こうした挑戦は、レース用タイヤだけにとどまらない。中山さんは、フルマラソンやトライアスロンに挑むことで、普段のジョギングにも余裕が生まれることに例えた。極限の性能を追い求める経験は、開発陣の技術力や発想を鍛え、市販タイヤの可能性を広げることにもつながっていく。
◆世界最高峰で知った、自分たちの現在地
タイヤの進化を確かに感じながらも、世界のトップとの差は依然として大きかった。SP9クラスは、これまで中山さんが戦ってきたSP10クラスとはマシンの性能も競争の激しさも異なる。ワールドクラスのトップドライバーたちが参戦し、メーカーの威信をかけて戦う舞台で、わずかな性能差が大きなタイム差となって表れる。
レースの厳しさを象徴する出来事のひとつが「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」(5月開催)でのクラッシュだった。約250km/hから減速するブレーキングポイントの路面にオイルがあり、マシンはコントロールを失ってウォールに接触。幸いにも足回りへの損傷は免れ、チームの懸命な修復作業によって再びコースへ戻り、完走を果たした。
アクシデントを含む過酷なニュル24時間レースを最後まで走り切ったことは、チームにとってひとつの大きな成果となった。ニュルブルクリンクを走ることに対する中山さん自身の感覚にも、変化が生まれていた。さまざまな経験を重ねるにつれて、以前ほど恐怖を感じることなく、自分のリズムで走れるようになってきたという。
かつて「怖さを感じられるからこそ速く走れる」と語っていた彼にとって、それは単にコースに慣れたということ以上の意味を持つ。刻々と変化する状況を読み取り、どこまで攻められるのかを判断する力が、より身についてきた。だからこそ、勝利への強い意欲がさらにわいてくる。
その一方で、開発ドライバーとしては、マシンを壊さず、限られた走行機会を最大限に活かすことも求められる。速さを追求して限界まで攻めたい気持ちと、タイヤの性能を正しく評価し、開発を前に進めなければならないという責任。その両立は、想像以上に難しかったそうだ。
勝つためには攻めなければならない。しかし、攻めすぎてマシンを失えば、開発の機会まで失ってしまう。だからといって慎重になりすぎれば、タイヤの本当の性能を引き出すこともできない。
中山さんは、そんな葛藤を抱えながらステアリングを握り続けた。世界との差を縮めるために必要なのは、単に速く走ることだけではない。自分の競争心と向き合いながら、チーム全体の挑戦を前に進めるための判断力もまた、問われていたのだ。
◆あと5歩。その先の壁に向かって
シーズンを通して積み重ねてきた挑戦は、数字にも確かに表れている。開発を始めた当初、トップとのタイム差は20秒以上あったという。それが次第に10秒程度まで縮まり、条件によっては5秒ほどに迫ることもできるようになった。
しかし、中山さんはここからが本当の勝負だと考えている。
「最初の10秒を縮めるのは、比較的やりやすかったんです。余分な贅肉を落としていくようなものですから。でも、ここから先は筋肉をつけて、もっと強くなっていかないといけない」
改善を重ねていくだけでは、世界のトップに追いつくことはできない。今ある技術を磨き上げることに加えて、これまでとは違う発想や、新たな領域を開拓することが必要になる。では、この1年間で、どれほど限界を押し上げることができたのだろうか。
「2歩くらいは進めたと思います。でも、あと5歩くらいある。その最後の3歩は、足をかける場所もないような垂直の壁なんです」
彼が見据えているのは、目の前のレースで少しずつ順位を上げることだけではない。さらに高い壁を越えるためには、成功するか分からない開発にも足を踏み入れなければならない。時には、失敗する可能性が高いと分かっていても試す必要があり、その結果、一時的にタイムや順位を落とすことさえあるかもしれない。
もちろん、レーシングドライバーとしては、どんなレースでも勝ちたい。その気持ちは今も変わらない。それでも、目先の結果を求めるだけでは越えられない壁があることを、中山さんはこの1年間で知った。「限界を押し上げる人」として描いた1年前の彼は、今、その限界の高さをより具体的に知っている。
あと5歩。その先へ進むために、中山さんとトーヨータイヤの挑戦は続いていく。